東日本大震災から2年

2013年3月の記事です。

「こんばんは。皆さんもおわかりでしょうが、今日は東日本大震災から2年です。
亡くなられた皆様のご冥福と、被災された皆様のご健勝を祈っております。

さて、東日本大震災の時私はどうしていたか。当時在籍していた病院から、院長が宮城県へ医療支援に赴かれましたが、その留守を預かったくらいのことしかしていません。
思い返すに正直申しますと、悲惨な状況を自分の目で見るのが怖かった、混乱した状況の中で自分の無力さに落胆するのが怖かった、といった感情があったのではないかと思います。

18年前阪神淡路大震災の際神戸に行ったのですが、その時に見た光景は今でも忘れることができません。全ての信号は壊れ、車は進まずに道路に溢れ返り、道路は陥没・隆起し、仰向けに寝ているビル、木材やがれきが山を作り、割れた窓、散乱したガラス片の数々、風に暴れるビルのブラインド、1階が潰れた数々の家、国道2号線を縦走する無数のホースと鳴り止まないサイレンの音・・・

8年前尼崎の脱線事故の際、当時在籍していた病院の指示で現場へ行きました。その時の光景も悲惨な状況でありました。すでに到着していた災害医療班の指示で、患者さんをお一人病院へ収容しました。

大変な状況の中で、人間として、医師として、自分が無力であることを感じていたように思います。実際には何もしていないわけではなかったし、その時自分のできることをやる、それで十分だったのかもしれませんが。。。

この先、関西も再び大きな災害に見舞われるやもしれません。もしそうなった場合、たとえ微力でも自分のできる限りのことをして、少しでも地域に貢献したいとの思いを強くしました。 」

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